物語教材の指導法8 主題の解釈②中・高学年編

物語教材には主役の変化を通して主題を語る特性があると何度もこの連載で示した。それが「主役」を中心に教材を読み取っていく理由である。

主題(主想)は教材文に明示されていない。

「この物語は真実は動かせないということを伝えるために書きました」

などと書いてあったら逆に興醒めする。

明示しないからこそ「伝わる」のである。

主題を伝えるための技法として「物語」を作者は選択したわけだ。

それは表現活動一般にもいえることで、主題を伝えるために「作品」がある。

その表現媒体が違うだけである。

指導要領の中には「主題」と言う言葉は一つも登場しない。(かつては高学年の読解には入っていた。)

では、主題は指導しなくてもいいのか?

主題を解釈しようとする思考はかなり論理的である。

指導要領にも「論理」という言葉は何度も登場する。

ならば、やはり、論理的に考えさせるために主題を教えよう。

物語の主題を解釈させる指導・・・これは実践があまり見られない。

向山洋一氏の主題指導が素晴らしく、毎回追試した。

次のような指導で「主題」とは何かをまず教えるのである。

「ワシントンの木」という有名なエピソードがある。

ワシントンはアメリカ初代大統領のジョージ=ワシントンである。

ジョージ・ワシントンが少年だった頃、自分の家の桜の木をおので切り倒してしまいました。その木はワシントンのお父さんが大事に育ていた桜の木ででした。ワシントンは正直に父親に桜の木を切ってしまったのは自分であることを告げて謝ります。

このエピソードの真偽は定かではないが、教材としては素晴らしい。子どもたちに問う。

「このお話は『桜のことを切ってはいけない』ということがいいたくて、これまでずっと残っときた話なのですね。」

子供達は首を横に振る。いやいやいや・・・

「そうですね。このお話は『正直の大切さ』を伝えるために生き残ってきたお話ですね。」

「このように、そのお話が裏で本当に伝えようとしている考え方を主題といいます。ワシントンの木の主題は『正直生きることは大切だ』というようにいえますね。」

このように抽象的な「主題」という概念を教えるのである。

そして、

「では、この物語の主題はなんでしょう。」

と、学習している物語の主題を問うのである。

ここで大切なのが、これまでの学習を踏まえて主題を解釈させなくてはならない。

例えば、次のように主題解釈のための「材料」を確認して解釈させる。

「この物語で主役の〜は、はじめ〜でしたが、〜によって、最後は〜になりましたね。」

「この主役の変化を通してこの物語は何をみんなに伝えようとしたのでしょうね。」

そして、主題文のアウトラインを示すのである。例えば、次のように。

人は(世の中は)〜ものだ。

主語は一般概念を示す。

「人間とは」「世の中とは」などだ。

これは物語によって教師が確定する。

そして、その後の文には、

物語に使われている言葉は使用しない(原則)

主題とは明示されていないからだ。

物語の文は「主材」(材料)である。主題文に採用した途端、主題らしくなくなる。

主題は一般論として表現する。

世の中は労働をするから暮らしていけるのである。

人は怠心が後悔をうむ。

人間とはなかなか先を見通せないものだ。

「アリとキリギリス」の主題はこんな形になるだろう。

最初はこの感覚が分からない子がいる。当然だ。

そこで、最初に主題文の書けた数名の文がそれなりに書けていれば、黒板に書き出させる。

例示である。

板書を見て、子供達は「そう書けばいいのか」と、主題文の感覚をつかむのである。

最終的にたくさんの主題文の中から自分が一番いいと思ったものを選択させて単元の終了となる。

どの主題文が適切かという討論も考えられるが、主題は経験で規定されるので、あまりやったことがない。

どうしてこのような主題にしたのかお互いに知ることは有益だ。

主題の指導は3年生からなら可能だと思う。